小説:「羊と鋼の森」宮下奈都

「羊と鋼の森」という不思議なタイトルは、ピアノを表している。

ピアノの音は、鋼でできた弦を羊毛のフェルトで叩くことで作り出され、その音色は無限に変化して様々な景色を見せてくれる。

そのことを教えられた17才の高校生が、あこがれの調律師を目指して日々努力し、森の中に分け入っていくような期待と感動をもって職人技術を磨いていく物語だ。

私は4才から10年間、ピアノを習っていた。
そのころ、家にピアノがあるのは一種のステータスのようなもので、子供の習い事の中でもピアノは人気があった。

時代は流れ、昨今では街の楽器屋さんに行っても、本物のピアノは数台しか置いていない。
場所をとらず、ボリューム調整もしやすい電子ピアノが主流になっているようだ。

そんな時代に、ピアノの調律師という地味な職業を選ぶ若者がいて、自分の望む音色を追求して熱心に仕事に取り組む姿勢は感動的だ。作者が、畏敬の念をもって調律師という職人技について丹念に描いているのがよくわかる。

小説の最後のページに、作者が取材した調律師に対する「謝辞」が書かれているが、たぶん、取材対象となった調律師の人たちこそが作者にお礼を言いたい気持ちなのではないかと思う。縁の下の力持ちとして、普段はめったに表舞台に登場しない職業の魅力を、こんなにリアルにわかりやすく、情熱をもって書いてくれたら、すごく嬉しいだろうな、と思う。

私自身は長年ピアノを習っていたが、音楽を奏でる楽しみを実感できないまま、ピアノを離れた。

先日、本屋さんでブルグミュラーの楽譜を見つけ、なんとも懐かしくなって購入してしまった。もう実家にあったピアノは処分してしまったし、家にはピアノがないのに、ただ楽譜だけを眺めている。

あの頃、なぜピアノが好きになれなかったんだろうか。
今、ピアノを弾いたら、子供の頃より楽しめるのだろうか、「羊と鋼の森」に迷い込むような新鮮な体験ができるのだろうか、そんなことを考えてしまう。

 

 

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